少し、いやかなり暗い内容なので隠します。
これを読んで後悔しても文句は言わないでくださいね。
娘(私)が酷く落ち込んでいようがどうであろうと気づかない両親。
だから気づかれないように必死になって“日常”をやりきらなくちゃいけない。
見ようとしてないのか、見えないのか。
それって関心がないのと一緒じゃないの?
私が“両親”や“家族”に期待しすぎなのかな?
もう何も出来ない小さな子どもではないけれど、どれだけ嫌だ嫌いだと言っても“親”って無くなったらいけないものでしょう。
いつか『いらない』って言われるんじゃないかと怯えて、“日常”を壊すことが出来ない。
昔、外でいろいろあって泣いたり嫌だと言ったら言われた『(家の中に)持ち込まないで』って言葉が頭から離れない。
あれは最大の拒絶。
“そんなことを私に言わないで”ってそれをあの時一番の理解者だと信じていた母親が態度に出してもよかったの?
陽気な人だし、長期に渡って深刻な悩みを抱えることもなさそうな性格だから仕方ないことだったのかも。
(当時は私のことで夜中に言い合いもしていたようだからそれが爆発したのかもしれない。)
もともと父親はそういう悩みを聞いてくれるような人じゃなかったからそんな話をしたこともない。
あとで妹も母親と同じような考えだと知った。
そうしたら悩みだとかいろいろなものを話せる相手なんか家の中には誰もいない。
だから一人で押し殺すしかなかった。
みんな良い人なんだと思う。
一緒にバカみたいに笑いあって話すことも出来るし、それをやっていて私も楽しい。
きっと自分から見ても端から見ても“幸せな家族”なんだと思うよ。
余計なことを考えなければ私も好きなんだと思う。
ただこれだけの時間が経ってしまったから今さらそんなこと言えない。
たぶん、これからも私にとって“家族”はそういう対象ではない。
人から聞く“仲の良い家族”が今もとてもうらやましいけれど、もうどうにもならないことだと諦めている。
私が言わなければ何も壊れることも変わることもないのだから。
それと、ときどき人が口に出して言うような“信頼”だとか“無償の愛”だとかそういうものは私には心から理解できないのかもしれない。
実際前に“信頼されたくないの?”って問いに私は自問自答した結果に「分からない…。」と答えた。
当たり前な話だが盛大に罵倒された。
たぶん、次に似たようなことを言われる時があったら表向きには「されたいです。」と答えるだろうけどやはり心では分からないままなんだと思う。
“信頼”とか“絶対”とか簡単に口に出して言うような人とはきっと私は好きになれない。
育った環境の違いできっと理解することが出来ないから。
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