なんというかどよーんというか、鬱々した内容なので今さらながら。
プラシーボ効果(プラセボ効果/擬薬効果)って服用する本人がそれがそうだと分かってても効くのかな。
患者に治療で処方するっていうのはよくあるのかもしれないけど。
たとえば抗うつ剤だと思って風邪薬や頭痛薬を服用するみたいな。
思いこんじゃえばいいのかしら?
(調べたらブドウ糖や乳糖を擬薬として与えるとあった。私がやろうとしてることってもしかしなくても薬物依存みたくならないわよね?服用量を守れば大丈夫よね?)
近いうちに他人に会わなきゃいけない状況になりそうで。
しかも私が苦手な同性の年上。
(同性の同年代も苦手だけどね。同年代の異性のほうが気持ちとしては楽。)
母とその人と私とで顔合わせて食事するらしいです。
どうしたら普通の人みたいに他人と接しても違和感ないように見えるのか。
ひとまず声をかけられても肩がびくつかなければいい。
ついつい母にいろいろと聞いてしまった。
(どんな人たちが集まるのかだとか。)
怪しまれなかったかしら。
勝負は明後日。
そして10月から始まって、場所はキャナルシティの傍なんだとか…。
(電車に慣れなくてはいけないね。)
すごく良い話だとは分かってる、有り難い話だとも思ってる。
でもやっぱり不安なの。
ちなみに今日(と言っても22日)は少し不安定で食事も取らず一日中自室に引きこもっていました。
先ほどやっと部屋から出て水を飲んで。
そして風呂に入りにきた母に声をかけられてあの話になりました。気づいたら雨も降り出していて。
頭の中を整理するのにいっぱいいっぱい。
世間体ってやっぱり大事なのかな。
母やその周りを困らしている存在なのかしら。
以前「私は恥ずかしい!と思った」と言われてからそれをいつも思うわけじゃないけど…心の底にはきちんと残ってていつになっても消えない。
どんな言葉でも言った本人は簡単に忘れられて、言われた私は忘れられない。
不公平だと思わない?
この雨みたいに綺麗に洗い流してくれればいいのに。
いつか読んだ本にあった「昔に戻れたらなんて自分に対して失礼ね。一生懸命生きていた自分に失礼ね。」って言葉。
過去に戻れたら…って思っちゃうのは仕方ないことだと思うの。でもこんな考えかたもあるんだと知れた。
雨が降ると余計なことまで思い出して疲れるね。
よし。今日はここまでにしよう。
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